だるまさん

小さなお話

だるまさんとは願掛けの置き物や、雪だるま、だるまさんが転んだという遊びなどで知られます。
多くの方は赤くて丸い人形を思い浮かべるでしょう

だるまさんとは何なのか、
元々だるまさんとは、禅宗の祖師“達磨大師”の事です
達磨大師は南インドにある国の第三王子として生まれ、名前を菩提(ぼだい)多羅(たら)と言いました。
やがて父である国王が亡くなったとき、菩提多羅は「人は死んだらどうなるのか」を考え続けましたが答えは出ませんでした。

これをきっかけに出家し、以前国に布教に来たことがある般若(はんにゃ)多羅(たら)という僧侶に弟子入りしました。
そして菩提多羅は「菩提達磨」という名前を頂きました。
いずれ達磨はインドで仏の教えを広めたのちに、中国へ渡りました。この時に既に100歳を超えていたと言われます。
中国へ入ると洛陽という都の南東にある嵩山(すうざん)少林寺に滞在します。

達磨は少林寺で壁に向かい九年に亘り坐禅の修行をします。
これを“面壁九年”と言います。
面壁九年は手足が腐り動かなくなるほどだったと言われます。

この面壁九年の間には有名な逸話があり、
洛陽で仏教に打ち込んでいる一人の僧侶が達磨を訪ねた時の事です。

僧侶は坐禅中の達磨に声を掛けましたが、達磨は振り向きもしませんでした。
僧侶は試されていると思い、外で待つことにしたのですが、
その日は雪がしんしんと降っていて、明け方には膝の高さまで降り積もりました。
その時達磨が「何しに来た」と声を掛けると、僧侶は仏の教えを受けたい旨を伝えました。
しかし達磨は厳しい言葉を掛け、追い帰そうとします。
すると僧侶は持っていた短刀で左腕を切り落とし、達磨に覚悟を見せます。
そして達磨は弟子入りを許可し「慧可(えか)」という名前を与えました。
その慧可が達磨の後の禅宗二世です。

達磨は面壁九年を終え、528年10月5日150歳で亡くなりました。

達磨は禅宗の祖師として日本でも親しまれ続けています。
ではなぜだるまさんが願掛けや縁起物として飾られるようになったのでしょうか、
日本には室町時代に中国から伝わった「起き上がり小法師」という倒しても起き上がる人形がありました。
江戸時代になると、達磨の不屈の精神に見立てて達磨のデザインの起き上がり小法師が作られるようになり、高僧である達磨の様々な尊い行いから縁起物として広まりました。
だるまさんのように辛い事に耐える精神力、倒れても立ち上がる根性を見習いたいものです。

 

合掌